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大田神社~酒井抱一展 [アート]
またしても京都に
酒井抱一の「夏秋草図」が、細見美術館に来るというので、金曜日に出かけることになった。
そして、その前に大田神社に立ち寄り、かきつばたを見ることにした。
立ち寄った上賀茂神社の庭をお掃除している人にも、「今が最高やで。」というお墨付きをもらい、ルンルンで社家通りを歩いて行った。
はたして、かきつばたは八分が咲きそろっていた。
いつもより多くの人が見に来ておられる。

この美しさはなんと形容したらいいのだろう。
花の色は、紫でもなく青でもない。
その中間で瑠璃色とでもいえばいいのか。花びらがとても薄いようだ。だから、陽の光が透けて見える。

はっぱも潔い形をしていて、まるで切れ味のいい剣のようだ。
そして、一様に鮮やかな緑色・・・
ともだちはこのシンプルさがいいと言っていた。
本当に千年もいやもっと前からずっと同じ形と色を保っている。
人間が改良の手を加えることなく、原始の美しさを保ち続けている。

写真をとったり、感心してしゃべっていると、NHKらしきカメラマンから声をかけられた。
私を含めて三人が、取材を受けてしまった。
しどろもどろに答えたことした覚えていないが、藤原俊成の和歌がつい口から飛び出てしまった。
神山や 大田の沢のかきつばた 深きたのみは いろにみゆらん
言えた!といって喜んでしまったが、友だちはあきれていた。
自分がかきつばたの美しさの形容ができなかったので、古人の歌の力を借りてしまった。
5日のカヌーキャンプの帰りに連れて行ってもらったのだが、その時はまだ三分咲きくらいだった。そのときの様子はこれ。また来れるとは思いもしなかった。

その後、いよいよ細見美術館に。
バス停から歩いて、近づいてみると、びっくり。
美術館の前に列ができていた。
こじんまりとした美術館なので、入場制限をしていた。
「ここの美術館では、前代未聞や。」
といいながら、並んで待った。

「どきどきするなあ。」
まるで、あこがれの人に会えるような気分だった。
それは、入ってすぐの部屋に突然あらわれた。
銀地の背景が、経年でいぶされたようになっていたが、たしかに墨か何かをかけたような筆跡がみられた。
「夏秋草図屏風」
夏草は、尾形光琳の雷神図の裏絵として描かれ、すすきの葉に百合やなでしこ?が見え隠れして、上部に水たまりが川のようにながれる。秋草は風神図の裏に描かれたという。風に吹かれ、蔦が飛び散るようす。ススキは穂をつけ、倒れそうになっている。葛の葉と花が鮮やかに描かれ、それも風に流されている。
繊細かつ写実的な絵だった。しかし、細い葉の曲線はかなり計算されたものだった。
自然の草が作る曲線以上のリズム感があり、まるでアールヌーボーを予知するかのようだった。
いやーすごかった。
ほかの絵で、心惹かれる絵もあったけれど、この一枚が見られて大満足だった。
酒井抱一の「夏秋草図」が、細見美術館に来るというので、金曜日に出かけることになった。
そして、その前に大田神社に立ち寄り、かきつばたを見ることにした。
立ち寄った上賀茂神社の庭をお掃除している人にも、「今が最高やで。」というお墨付きをもらい、ルンルンで社家通りを歩いて行った。
はたして、かきつばたは八分が咲きそろっていた。
いつもより多くの人が見に来ておられる。

この美しさはなんと形容したらいいのだろう。
花の色は、紫でもなく青でもない。
その中間で瑠璃色とでもいえばいいのか。花びらがとても薄いようだ。だから、陽の光が透けて見える。

はっぱも潔い形をしていて、まるで切れ味のいい剣のようだ。
そして、一様に鮮やかな緑色・・・
ともだちはこのシンプルさがいいと言っていた。
本当に千年もいやもっと前からずっと同じ形と色を保っている。
人間が改良の手を加えることなく、原始の美しさを保ち続けている。

写真をとったり、感心してしゃべっていると、NHKらしきカメラマンから声をかけられた。
私を含めて三人が、取材を受けてしまった。
しどろもどろに答えたことした覚えていないが、藤原俊成の和歌がつい口から飛び出てしまった。
神山や 大田の沢のかきつばた 深きたのみは いろにみゆらん
言えた!といって喜んでしまったが、友だちはあきれていた。
自分がかきつばたの美しさの形容ができなかったので、古人の歌の力を借りてしまった。
5日のカヌーキャンプの帰りに連れて行ってもらったのだが、その時はまだ三分咲きくらいだった。そのときの様子はこれ。また来れるとは思いもしなかった。

その後、いよいよ細見美術館に。
バス停から歩いて、近づいてみると、びっくり。
美術館の前に列ができていた。
こじんまりとした美術館なので、入場制限をしていた。
「ここの美術館では、前代未聞や。」
といいながら、並んで待った。

「どきどきするなあ。」
まるで、あこがれの人に会えるような気分だった。
それは、入ってすぐの部屋に突然あらわれた。
銀地の背景が、経年でいぶされたようになっていたが、たしかに墨か何かをかけたような筆跡がみられた。
「夏秋草図屏風」
夏草は、尾形光琳の雷神図の裏絵として描かれ、すすきの葉に百合やなでしこ?が見え隠れして、上部に水たまりが川のようにながれる。秋草は風神図の裏に描かれたという。風に吹かれ、蔦が飛び散るようす。ススキは穂をつけ、倒れそうになっている。葛の葉と花が鮮やかに描かれ、それも風に流されている。
繊細かつ写実的な絵だった。しかし、細い葉の曲線はかなり計算されたものだった。
自然の草が作る曲線以上のリズム感があり、まるでアールヌーボーを予知するかのようだった。
いやーすごかった。
ほかの絵で、心惹かれる絵もあったけれど、この一枚が見られて大満足だった。
雨のカヌーキャンプ [旅行]
きびしい天候の元で
恒例のカヌーキャンプに今年も行くことになった。
5月3日、朝5時に起きて出発する。
近畿自動車道から第二京阪奈道へ。
京都に入ると、上賀茂から鯖街道に入って滋賀に出るコースを走る。
途中、朽木の道の駅に立ち寄る。
いつも通り、ここで珍しい食料品を購入する。椎茸、漬け物、栃餅など。
日曜日にはもっとたくさんの店がでる。

高木浜サニービーチに到着。
テントを建て、カヌーをおろしたり、組み立てたりする。

さっそく、事件が起きる。
キャンプ場の客の子どもがサンダルを流した。お父さんが水着に着替えて湖に入るが、サンダルはどんどん深みに行ってしまう。
「それっカヌーを出せ!」と誰かが叫ぶと、カヌーキャンプの子ども二人が早速ライフジャケットをつけてカヌーに乗り込む。瞬く間に、サンダルをゲットする。
お礼にワインをいただいた。
昼過ぎから雨がぽつぽつと。
早めにカレーの支度をし、その日は早めに就寝。
次の日の朝は、なんとか天気が持つ。
朝、北西の湖面すれすれに虹が出ていた。
みなさんは、カヌーで海津大崎の鼻をめざして遠出する。
前の日に岬のとったんにある大崎寺から、下の海岸に降りたので、この日はパス。
私と友だち三人は、スキー場にある温泉まで行くことに。

恒例のカヌーキャンプに今年も行くことになった。
5月3日、朝5時に起きて出発する。
近畿自動車道から第二京阪奈道へ。
京都に入ると、上賀茂から鯖街道に入って滋賀に出るコースを走る。
途中、朽木の道の駅に立ち寄る。
いつも通り、ここで珍しい食料品を購入する。椎茸、漬け物、栃餅など。
日曜日にはもっとたくさんの店がでる。

高木浜サニービーチに到着。
テントを建て、カヌーをおろしたり、組み立てたりする。

さっそく、事件が起きる。
キャンプ場の客の子どもがサンダルを流した。お父さんが水着に着替えて湖に入るが、サンダルはどんどん深みに行ってしまう。
「それっカヌーを出せ!」と誰かが叫ぶと、カヌーキャンプの子ども二人が早速ライフジャケットをつけてカヌーに乗り込む。瞬く間に、サンダルをゲットする。
お礼にワインをいただいた。
昼過ぎから雨がぽつぽつと。
早めにカレーの支度をし、その日は早めに就寝。
次の日の朝は、なんとか天気が持つ。
朝、北西の湖面すれすれに虹が出ていた。
みなさんは、カヌーで海津大崎の鼻をめざして遠出する。
前の日に岬のとったんにある大崎寺から、下の海岸に降りたので、この日はパス。
私と友だち三人は、スキー場にある温泉まで行くことに。

女子会で京都へ [旅行]
京都へ一泊旅行
一月の中学時代の同級生で行ったカニ女子会のあと、京都へ行こうということになった。いいだしべえの私が幹事だ。
満足してもらえるようなプランを立ててみた。
4月22日11時に京都駅集合
一泊する旅館に荷物を預ける。
お昼は、新阪急ホテルの「美濃吉」の花見弁当+生麩田楽
一日目は、七条通りを中心に見学する
渉成園のお庭拝観→
三十三間堂→
智積院→
旅館へ(日帰りの人はJR京都駅へ)
二日目は、JR京都駅のロッカーに荷物をあずける。
四条通りへ移動
建仁寺→
花見小路→
お昼ごはん(松葉のそば)とお土産ショッピング
そして、当日は・・・雨だった。
みなさん大きめの傘をしっかりもっている。
「美濃吉」でお昼ごはんを食べてから、移動開始。
7人だったので、タクシーで渉成園に移動する。あまりに近かったので、ちょっと嫌がられた。
渉成園では、名残のぼたん桜や雨に洗われた新緑が美しかった。

こんどは、三十三間堂までまたタクシーで移動する。
清盛ブームなので、いつもより人が多いような気がする。
およそ1005体あるという仏像は、迫力満点である。湛慶などが彫っているという千手観音菩薩立像は一体一体がお顔や姿が違っていて、見ていて飽きない。

道なりに歩いて、ホテルのラウンジでコーヒータイム。甘いものが食べたくなって、みんなで半分こする。
そして、智積院では四時になっていた。
寺宝の長谷川等伯親子の桜・楓図を見る。お寺の講堂では、田淵俊夫画伯による墨絵の襖絵を見ることができた。
そのあと、日帰りする友だちを見送り、旅館へ引き返す。
部屋で一休みしてから、京都タワーホテルの12階にあるレストラン「空」で晩御飯をいただく。
JR京都駅を望む展望レストランで、夜景を見ながらのフレンチは美味しかった。
帰ってから、大きなお風呂にみんなでゴー。
そのあと眠りにつくまでおしゃべりが続く。
あくる日は、バスに乗る。東山安井で降りて、建仁寺へ。
ここでは、俵屋宗達の「風神雷神図」が見られるほか、小泉純作画伯の天井画「双龍図」が見られる。
お寺の庭では、もう牡丹の花が咲き始めていた。

愛嬌たっぷりの双龍図を見た後、花見小路へ。
情緒豊かな街並みを歩いていくと、あの悲惨な事故があった四つ角にさしかかる。曲がり角にはたくさんの花束がたむけてあった。
南座のとなりの「松葉」でお昼ご飯をいただく。
昨日から、ごちそうづくめなので、軽くおそばをと思ったが、みんなは天ぷら定食を。さすがみなさん健啖だなと感心する。
そのあと、河原町通りでショッピングをしてから、帰路に着いた。
小学校や中学校時代の友だちというのは、またいいものだ。一切の説明やあいさつをぬきに話ができる。それから、お寺では仏様に手を合わせたり、お賽銭を入れたり、お札をもらったり。みんな、一様に信心の気持ちも育って、いい大人になったのだなとおかしかったりする。
またね、また元気で会おうね。といってお別れした。
私のお土産は、旅館の「黒柿」というお茶菓子が美味しかったので、ゲット。それからダイエットにいいという「桑のお茶」。ぴょんぴょん堂のこいのぼりの絵の懐紙。そのほか八橋とすぐきのお漬物も買いました。

一月の中学時代の同級生で行ったカニ女子会のあと、京都へ行こうということになった。いいだしべえの私が幹事だ。
満足してもらえるようなプランを立ててみた。
4月22日11時に京都駅集合
一泊する旅館に荷物を預ける。
お昼は、新阪急ホテルの「美濃吉」の花見弁当+生麩田楽
一日目は、七条通りを中心に見学する
渉成園のお庭拝観→
三十三間堂→
智積院→
旅館へ(日帰りの人はJR京都駅へ)
二日目は、JR京都駅のロッカーに荷物をあずける。
四条通りへ移動
建仁寺→
花見小路→
お昼ごはん(松葉のそば)とお土産ショッピング
そして、当日は・・・雨だった。
みなさん大きめの傘をしっかりもっている。
「美濃吉」でお昼ごはんを食べてから、移動開始。
7人だったので、タクシーで渉成園に移動する。あまりに近かったので、ちょっと嫌がられた。
渉成園では、名残のぼたん桜や雨に洗われた新緑が美しかった。

こんどは、三十三間堂までまたタクシーで移動する。
清盛ブームなので、いつもより人が多いような気がする。
およそ1005体あるという仏像は、迫力満点である。湛慶などが彫っているという千手観音菩薩立像は一体一体がお顔や姿が違っていて、見ていて飽きない。

道なりに歩いて、ホテルのラウンジでコーヒータイム。甘いものが食べたくなって、みんなで半分こする。
そして、智積院では四時になっていた。
寺宝の長谷川等伯親子の桜・楓図を見る。お寺の講堂では、田淵俊夫画伯による墨絵の襖絵を見ることができた。
そのあと、日帰りする友だちを見送り、旅館へ引き返す。
部屋で一休みしてから、京都タワーホテルの12階にあるレストラン「空」で晩御飯をいただく。
JR京都駅を望む展望レストランで、夜景を見ながらのフレンチは美味しかった。
帰ってから、大きなお風呂にみんなでゴー。
そのあと眠りにつくまでおしゃべりが続く。
あくる日は、バスに乗る。東山安井で降りて、建仁寺へ。
ここでは、俵屋宗達の「風神雷神図」が見られるほか、小泉純作画伯の天井画「双龍図」が見られる。
お寺の庭では、もう牡丹の花が咲き始めていた。

愛嬌たっぷりの双龍図を見た後、花見小路へ。
情緒豊かな街並みを歩いていくと、あの悲惨な事故があった四つ角にさしかかる。曲がり角にはたくさんの花束がたむけてあった。
南座のとなりの「松葉」でお昼ご飯をいただく。
昨日から、ごちそうづくめなので、軽くおそばをと思ったが、みんなは天ぷら定食を。さすがみなさん健啖だなと感心する。
そのあと、河原町通りでショッピングをしてから、帰路に着いた。
小学校や中学校時代の友だちというのは、またいいものだ。一切の説明やあいさつをぬきに話ができる。それから、お寺では仏様に手を合わせたり、お賽銭を入れたり、お札をもらったり。みんな、一様に信心の気持ちも育って、いい大人になったのだなとおかしかったりする。
またね、また元気で会おうね。といってお別れした。
私のお土産は、旅館の「黒柿」というお茶菓子が美味しかったので、ゲット。それからダイエットにいいという「桑のお茶」。ぴょんぴょん堂のこいのぼりの絵の懐紙。そのほか八橋とすぐきのお漬物も買いました。

レース編みなどを [趣味]
毛糸編みからレース編みへ
毛糸を編んでいたのだが、季節がらレース編みへと移行した。
図書館から借りてきた本に、「はじめて編むアイリッシュクロッシェレース」(日本ヴォーグ社)というのがあった。アイリッシュ・クロッシェレースというのは、モチーフが立体的で、豪華な印象を受ける。
たしか、ピアニストのフジコ・ヘミングさんもこの編み方のラリエットをしておられたと記憶している。
ミニマフラーというのを編んでみようと思った。
まず、材料調達から始める。レース糸は多めに買ってしまうので、何千円かの出費となるが、完成すれば数倍の価値がある。
まず、基本モチーフから編み始める。
モチーフは、バラの花、リング、実、リーフなどそれぞれ数種類。立体的な感じを出すために、パディングコードという同じ素材のレース糸を何重も巻き、芯にする。それがアイリッシュ・クロッシェレースの特徴の一つだという。リングなども様々な大きさがあるので、様々な太さのジャンボ編みの針などに巻く。あまり、出費をしたくないので、家にある鉛筆だとか、筆のようなものを転用する。
基本モチーフを編むのに2日ほどかかる。次は本体の模様編み、けっこう長いのでやはり2日ほどかかった。

最後はモチーフを鎖でつなぎ、さらに本体につないでいく作業だ。
本のモチーフとは、多少自分のくせがあって、大きさや形状も違うために、なかなか説明書き通りにはならない。そこは、てきとうに穴が大きい場合は、鎖編みを増やし、穴が狭い場合は、逆に減らしていく。
そのあたりは、ごまかし方がうまくなった。
一方の端が、出来上がると、嬉しくなってもう一方の端にもつないでいく。最後は、1日朝から晩までかかりきりになって、出来上がった。
あっしまった!今日は、ゴミ出しの日だったのを忘れていた・・・という始末であった。
ご飯を食べることは、忘れていないのになあ。

けっこう、うまく出来上がった。あとは、どう着こなすかだな。それが肝心なんだけど。
この次は、レースの襟に挑戦したいんだ。
毛糸を編んでいたのだが、季節がらレース編みへと移行した。
図書館から借りてきた本に、「はじめて編むアイリッシュクロッシェレース」(日本ヴォーグ社)というのがあった。アイリッシュ・クロッシェレースというのは、モチーフが立体的で、豪華な印象を受ける。
たしか、ピアニストのフジコ・ヘミングさんもこの編み方のラリエットをしておられたと記憶している。
ミニマフラーというのを編んでみようと思った。
まず、材料調達から始める。レース糸は多めに買ってしまうので、何千円かの出費となるが、完成すれば数倍の価値がある。
まず、基本モチーフから編み始める。
モチーフは、バラの花、リング、実、リーフなどそれぞれ数種類。立体的な感じを出すために、パディングコードという同じ素材のレース糸を何重も巻き、芯にする。それがアイリッシュ・クロッシェレースの特徴の一つだという。リングなども様々な大きさがあるので、様々な太さのジャンボ編みの針などに巻く。あまり、出費をしたくないので、家にある鉛筆だとか、筆のようなものを転用する。
基本モチーフを編むのに2日ほどかかる。次は本体の模様編み、けっこう長いのでやはり2日ほどかかった。

最後はモチーフを鎖でつなぎ、さらに本体につないでいく作業だ。
本のモチーフとは、多少自分のくせがあって、大きさや形状も違うために、なかなか説明書き通りにはならない。そこは、てきとうに穴が大きい場合は、鎖編みを増やし、穴が狭い場合は、逆に減らしていく。
そのあたりは、ごまかし方がうまくなった。
一方の端が、出来上がると、嬉しくなってもう一方の端にもつないでいく。最後は、1日朝から晩までかかりきりになって、出来上がった。
あっしまった!今日は、ゴミ出しの日だったのを忘れていた・・・という始末であった。
ご飯を食べることは、忘れていないのになあ。

けっこう、うまく出来上がった。あとは、どう着こなすかだな。それが肝心なんだけど。
この次は、レースの襟に挑戦したいんだ。
今日庵見学 [旅行]
茶道の聖地へ
裏千家の家元宅に見学に行けることになった。ふだんは、なかなか見れない場所なので参加することにした。

4月6日、総勢50数名が大徳寺東門に集合した。この日は、私が習っている教室の生徒だけでなく、淡交会の大阪の方々、東京から来た方々も交じっていたようだ。
まず、訪れたのは、大徳寺聚光院の境内にある利休居士のお墓、大徳寺の山門の二階に雪駄履きの利休像を安置したことから、秀吉の怒りに触れ、切腹を命じられた利休。彼の墓は、灯篭様をしていて、墓地の真ん中にあり、表千家、裏千家、武者小路家の子孫たちの墓に囲まれている。墓の形は、裏千家がまん丸い石、武者小路家が道標のような柱様に屋根がある。表千家は覚えていない。

お参りをしてから、お寺に上がらせてもらって、襖絵や利休の像を拝見した。聚光院は、三好義嗣が父長慶の菩提を弔うために建てたお寺で、長慶の法号からとった名前であるそうだ。大徳寺の開祖は、笑嶺宗訢和尚という方で、利休はその俗弟子となったので、この寺との縁が深かったのだろう。
その後、大徳寺用達精進料理方「一久」という料理屋さんに行って、お昼をいただいた。
精進料理なので、生物はなかったが、味に工夫をされていて、なかなか美味しかった。

裏千家の家元宅に見学に行けることになった。ふだんは、なかなか見れない場所なので参加することにした。

4月6日、総勢50数名が大徳寺東門に集合した。この日は、私が習っている教室の生徒だけでなく、淡交会の大阪の方々、東京から来た方々も交じっていたようだ。
まず、訪れたのは、大徳寺聚光院の境内にある利休居士のお墓、大徳寺の山門の二階に雪駄履きの利休像を安置したことから、秀吉の怒りに触れ、切腹を命じられた利休。彼の墓は、灯篭様をしていて、墓地の真ん中にあり、表千家、裏千家、武者小路家の子孫たちの墓に囲まれている。墓の形は、裏千家がまん丸い石、武者小路家が道標のような柱様に屋根がある。表千家は覚えていない。

お参りをしてから、お寺に上がらせてもらって、襖絵や利休の像を拝見した。聚光院は、三好義嗣が父長慶の菩提を弔うために建てたお寺で、長慶の法号からとった名前であるそうだ。大徳寺の開祖は、笑嶺宗訢和尚という方で、利休はその俗弟子となったので、この寺との縁が深かったのだろう。
その後、大徳寺用達精進料理方「一久」という料理屋さんに行って、お昼をいただいた。
精進料理なので、生物はなかったが、味に工夫をされていて、なかなか美味しかった。

2012 春 [地域]
草間彌生展 [アート]
美術館日和だった
高校時代の友だちと約束していた『草間彌生展』。
22日に行った。この日は久しぶりの春めいた晴天だった。
肥後橋にある国立国際美術館でのこの展覧会は、『朝日友の会』会員は無料で入れる。
年会費1650円?くらいだが、この規模の展覧会に二回行くと元がとれるので、ここ何年間は会費をはらっている。一緒に行った友だちも会員になっている。

瀬戸内海の直島に水玉模様のカボチャのオブジェがある。
前衛芸術家である。
くらいしか予備知識がなかったので、『THE BIG ISSHE』を一週間ほど前に300円で手に入れて、読んでおいた。
ーーー1929年に長野県松本市に生まれる。
今年で83歳になられるのかな。
子どもの頃から、幻覚や幻聴といった精神的な病に悩まされ、それが芸術へのきっかけになったという。
あるエピソードでは、スミレ畑を眺めているときに、ふとスミレがまるで人の顔のように見え、自分に話しかけてきたという。がたがた震えながら、家に帰ってくると、スケッチブックを出して見たものを次々と描いていった。すると不思議なことにさきほどまで感じていた恐怖や不安が静まっていったという。
26歳のころ、アメリカ人のジョージア・オキーフに手紙を出し、文通を始めた。28歳の時に渡米する。
渡米したころの生活はひどいものであったらしい。部屋のガラス窓は敗れ放題、道端に落ちていた戸板をベッドがわりにし、店の屑籠から魚の頭やキャベツの外皮を拾いスープにして食べた。
1959年のはじめての個展「オブセッショナル・モノクローム」が成功し、草間さんの名前が全米で知られるようになった。60年代には、機械生産で作られる食べ物への恐怖感からマカロニの彫刻、セックスへの嫌悪感から男根をモチーフにした制作などをガートルード・スタイン画廊に持ち込み、「集積の一千のボート・ショー」では、アンディ・ウォーホルに絶賛された。60年代後半には、アトリエから街へ飛び出し、「ハプニング」と呼ばれるゲリラ的なパフォーマンス・アートを開始した。そのころから、「……ウォール街の証券マンは水玉模様で抹殺だ……」として、水玉模様のボディ・ペインティングを行っている。ヒッピー文化とあいまって、欧米では熱烈に受け入れられたそうだ。
73年以降に日本に帰り、制作活動を続けているが、精神的な病や心ないバッシングとの闘いは続いていたらしい。03年には、フランス芸術文化勲章、09年には文化功労者となった。
今回、展示されているのは、「永遠の永遠の永遠」展と称し、04年から07年までに描きためたモノクロ線画の「愛はとこしえ」シリーズ50点と、09年から描いている色彩豊かな新作群だ。
白地に赤い水玉模様の部屋には、大きなチューリップが置かれていて、入るなり、楽しさであふれるような世界だった。

また、行列があるところへ誘導されて10人くらいが入ると、≪魂の灯≫と題される部屋で、小さな無数の豆球が吊るされ、回りの鏡に映り、何倍もの光となる・・・それが赤から青にまた黄色にと色が解けながら、変わっていく・・・まるで宇宙のような、神秘的な空間だった。

小倉遊亀や片岡球子や上村松園など多くの女流画家の絵を見ている友人は、「この方は、表現においてどんな努力をなさったのだろう」とつぶやいていたが、私は「絵を描くことそのものが、生きることだったんではないかな」「努力というより、今それを描きたいというインスピレーションや直感で描かれたのでは」と言った。

美術館を出て、昼ごはんを食べるところを探しながら、淀屋橋に出て和食バイキングのお店に入った。
私はどうも行き当たりばったりが好きなようである。
食べてからも、あまりに天気が良かったので、御堂筋を南へ、本町へそして心斎橋へ、それから難波まで、しゃべりながら歩いた。久しぶりに御堂筋を気持ちよく歩けたなあ。
高校時代の友だちと約束していた『草間彌生展』。
22日に行った。この日は久しぶりの春めいた晴天だった。
肥後橋にある国立国際美術館でのこの展覧会は、『朝日友の会』会員は無料で入れる。
年会費1650円?くらいだが、この規模の展覧会に二回行くと元がとれるので、ここ何年間は会費をはらっている。一緒に行った友だちも会員になっている。

瀬戸内海の直島に水玉模様のカボチャのオブジェがある。
前衛芸術家である。
くらいしか予備知識がなかったので、『THE BIG ISSHE』を一週間ほど前に300円で手に入れて、読んでおいた。
ーーー1929年に長野県松本市に生まれる。
今年で83歳になられるのかな。
子どもの頃から、幻覚や幻聴といった精神的な病に悩まされ、それが芸術へのきっかけになったという。
あるエピソードでは、スミレ畑を眺めているときに、ふとスミレがまるで人の顔のように見え、自分に話しかけてきたという。がたがた震えながら、家に帰ってくると、スケッチブックを出して見たものを次々と描いていった。すると不思議なことにさきほどまで感じていた恐怖や不安が静まっていったという。
26歳のころ、アメリカ人のジョージア・オキーフに手紙を出し、文通を始めた。28歳の時に渡米する。
渡米したころの生活はひどいものであったらしい。部屋のガラス窓は敗れ放題、道端に落ちていた戸板をベッドがわりにし、店の屑籠から魚の頭やキャベツの外皮を拾いスープにして食べた。
1959年のはじめての個展「オブセッショナル・モノクローム」が成功し、草間さんの名前が全米で知られるようになった。60年代には、機械生産で作られる食べ物への恐怖感からマカロニの彫刻、セックスへの嫌悪感から男根をモチーフにした制作などをガートルード・スタイン画廊に持ち込み、「集積の一千のボート・ショー」では、アンディ・ウォーホルに絶賛された。60年代後半には、アトリエから街へ飛び出し、「ハプニング」と呼ばれるゲリラ的なパフォーマンス・アートを開始した。そのころから、「……ウォール街の証券マンは水玉模様で抹殺だ……」として、水玉模様のボディ・ペインティングを行っている。ヒッピー文化とあいまって、欧米では熱烈に受け入れられたそうだ。
73年以降に日本に帰り、制作活動を続けているが、精神的な病や心ないバッシングとの闘いは続いていたらしい。03年には、フランス芸術文化勲章、09年には文化功労者となった。
今回、展示されているのは、「永遠の永遠の永遠」展と称し、04年から07年までに描きためたモノクロ線画の「愛はとこしえ」シリーズ50点と、09年から描いている色彩豊かな新作群だ。
白地に赤い水玉模様の部屋には、大きなチューリップが置かれていて、入るなり、楽しさであふれるような世界だった。

また、行列があるところへ誘導されて10人くらいが入ると、≪魂の灯≫と題される部屋で、小さな無数の豆球が吊るされ、回りの鏡に映り、何倍もの光となる・・・それが赤から青にまた黄色にと色が解けながら、変わっていく・・・まるで宇宙のような、神秘的な空間だった。

小倉遊亀や片岡球子や上村松園など多くの女流画家の絵を見ている友人は、「この方は、表現においてどんな努力をなさったのだろう」とつぶやいていたが、私は「絵を描くことそのものが、生きることだったんではないかな」「努力というより、今それを描きたいというインスピレーションや直感で描かれたのでは」と言った。

美術館を出て、昼ごはんを食べるところを探しながら、淀屋橋に出て和食バイキングのお店に入った。
私はどうも行き当たりばったりが好きなようである。
食べてからも、あまりに天気が良かったので、御堂筋を南へ、本町へそして心斎橋へ、それから難波まで、しゃべりながら歩いた。久しぶりに御堂筋を気持ちよく歩けたなあ。
東寺 弘法市 [地域]
お彼岸につき
お墓詣りに行く。
その前にちょっと東寺に寄った。
この日は、21日で恒例の東寺の弘法市が開かれる日だった。
たくさん歩かないといけなかったので、この日は着物はパス。
目的は、草履のかかとの下の半月型のゴム。あれなんていうんだろう。
草履をはくようになってから、自分で打ち直している。
よく歩くので、専門家に持って行って直してもらったのでは、らちが明かない。
4~5年前に弘法市で10セットくらい求めて買い置きしていたのが、もう全部なくなった。
やっとこや小さ目の金槌もそろえて、わりと簡単にできるようになった。

JRから東寺まで15分ほど歩くと、東寺の東門が見える。
おおぜいの人で賑わっている。
入るとたくさんの露天。
古着、漬物、植木、骨董品、手作りの品々。
一つ一つ見ていると、飽きることがない。
そうだそうだ。
東寺に来たからには、ぜひお会いしたい方がいる。
講堂におはします帝釈天さまだ。
西側の入り口から入るとなんとなく明るすぎて、いつもの端正なお顔が違ったように見える。
中に入って、左の横顔を斜め正面から見る。
そうだ。このお顔だ。端正で理知的できりっと引き締まったお顔。
しばし、うっとりと眺める。
このお方は、はるか何億光年の昔にあの奈良の興福寺におられる阿修羅を、聖戦の末に仏門に帰依させた仏様なのだ。という話は何年か前に知った。
お庭には、梅が満開だ。今年、梅らしい梅を見たのはこれが初めてだ。
あちらには五重塔が黒々と見下ろしている。

ふたたび弘法市の雑踏の中へもどる。
手芸用の古裂れ、茶さじを作る竹の切れ端、生姜の砂糖漬け、茶殻入れなど小物をさっそく買った。
そうだかんじんのかかとのゴムを売っているところが見当たらない。前は南門あたりで売っていたのだが、それらしい店がない。
あんまりお腹が減ってきたので、ちょっと一休みしてたこ焼きをいただく。
そうだ、さっき草履屋さんがあったっけ。
もう一度南大門のほうへ行ってみよう。

はたして、たくさんの草履が並べてある下の方に、あの草履のかかとがあった。
200円のものを5セットと450円のものを2セット買った。
しばらくはこれでやっていけそうだ。
お財布が軽くなり、一路バス停に急ぐ。
ここからなるだけ東山五条まで距離を稼いでから、東山浄苑までタクシーに乗ることにした。
遅くなってあやまらなくちゃと思いつつ。
お墓詣りに行く。
その前にちょっと東寺に寄った。
この日は、21日で恒例の東寺の弘法市が開かれる日だった。
たくさん歩かないといけなかったので、この日は着物はパス。
目的は、草履のかかとの下の半月型のゴム。あれなんていうんだろう。
草履をはくようになってから、自分で打ち直している。
よく歩くので、専門家に持って行って直してもらったのでは、らちが明かない。
4~5年前に弘法市で10セットくらい求めて買い置きしていたのが、もう全部なくなった。
やっとこや小さ目の金槌もそろえて、わりと簡単にできるようになった。

JRから東寺まで15分ほど歩くと、東寺の東門が見える。
おおぜいの人で賑わっている。
入るとたくさんの露天。
古着、漬物、植木、骨董品、手作りの品々。
一つ一つ見ていると、飽きることがない。
そうだそうだ。
東寺に来たからには、ぜひお会いしたい方がいる。
講堂におはします帝釈天さまだ。
西側の入り口から入るとなんとなく明るすぎて、いつもの端正なお顔が違ったように見える。
中に入って、左の横顔を斜め正面から見る。
そうだ。このお顔だ。端正で理知的できりっと引き締まったお顔。
しばし、うっとりと眺める。
このお方は、はるか何億光年の昔にあの奈良の興福寺におられる阿修羅を、聖戦の末に仏門に帰依させた仏様なのだ。という話は何年か前に知った。
お庭には、梅が満開だ。今年、梅らしい梅を見たのはこれが初めてだ。
あちらには五重塔が黒々と見下ろしている。

ふたたび弘法市の雑踏の中へもどる。
手芸用の古裂れ、茶さじを作る竹の切れ端、生姜の砂糖漬け、茶殻入れなど小物をさっそく買った。
そうだかんじんのかかとのゴムを売っているところが見当たらない。前は南門あたりで売っていたのだが、それらしい店がない。
あんまりお腹が減ってきたので、ちょっと一休みしてたこ焼きをいただく。
そうだ、さっき草履屋さんがあったっけ。
もう一度南大門のほうへ行ってみよう。

はたして、たくさんの草履が並べてある下の方に、あの草履のかかとがあった。
200円のものを5セットと450円のものを2セット買った。
しばらくはこれでやっていけそうだ。
お財布が軽くなり、一路バス停に急ぐ。
ここからなるだけ東山五条まで距離を稼いでから、東山浄苑までタクシーに乗ることにした。
遅くなってあやまらなくちゃと思いつつ。
人生は過ぎゆく~ [音楽]
月日が過ぎゆく~
最近、ブログを更新していない。
いろいろあったのだけれど。
おいっこの結婚式。煎茶のお茶会。テルミンのコンサート。確定申告。
本も読みたいし、手芸もしたい。欲が深いのか、飽きっぽいのか。
いまだによく解らんわたしである。
そのうち、テルミンのコンサートが珍しかろうと思うので、書いてみよう。
3月11日の夜にあった。
先生曰く、「この日にやるには、いろんな批判があった。だって、電気を使うのだから。」
なるほど、3月11日は、8月6日9日に匹敵するほどの重大な日になったんだ。
しかし、コンサートはあった。
午後6時半、中津のライブハウスの前は、行列ができていた。
一歩遅かったか!これでは、立見席しかない。
しかたない。なるだけもたれられそうな場所を探した。
今夜の出演者は、菊池誠さん。某大学の電気工学科のれっきとした先生だそうだ。
それから、私の師匠がテルミンとお箏でユニットを組んでいる「短冊」。
ギターとマトリョミンの「銘菓ヨロシアン」。DJの「宴パンダ」。
テルミンとアコーディオンのユニット「沼娘」。ゲストのギターコンビの「キドキラ」。

まあ、とにかく怪しいが魅力的なコンサートであった。
コンサート名が、「第4回スナック電波」というだけにエレキギターとテルミンがすべてであった。
スナックのママ役のフェイターンが、言っていた。「エーテルとエレキテルの出会い」まさにその通りで、なんともいえない不思議空間、まるで梨木香歩の沼地を思わせるような空気感がただよっていた。
ギターの腕前はみんなプロ級で、すばらしかった。フェイのテルミンも良かった。師匠の即興演奏もいつものように安心して聞けた。「宴パンダ」も愛嬌たっぷりで、イケてるDJをした。ただ、マトリョミンがな~ちょっと物足りなかった。やはり、おもちゃの域を出ないなあ。音が切れない分、難しいのではなかったか。
最後のキドキラ、菊池、師匠の「ヨーロッパの曙」という曲は、最高だった。あんなに速いテンポで、ファンダメンタルな音を出すテルミンが、メロディを刻むのは奇跡としかいいようがない。
テルミンは、難しい。解ってくれる人には、解るんだが、ロマンティックな楽器である。
クラシックからジャズやロックまでなんでも来いの可能性がある。
ますます、好きになりそうだ。
最近、ブログを更新していない。
いろいろあったのだけれど。
おいっこの結婚式。煎茶のお茶会。テルミンのコンサート。確定申告。
本も読みたいし、手芸もしたい。欲が深いのか、飽きっぽいのか。
いまだによく解らんわたしである。
そのうち、テルミンのコンサートが珍しかろうと思うので、書いてみよう。
3月11日の夜にあった。
先生曰く、「この日にやるには、いろんな批判があった。だって、電気を使うのだから。」
なるほど、3月11日は、8月6日9日に匹敵するほどの重大な日になったんだ。
しかし、コンサートはあった。
午後6時半、中津のライブハウスの前は、行列ができていた。
一歩遅かったか!これでは、立見席しかない。
しかたない。なるだけもたれられそうな場所を探した。
今夜の出演者は、菊池誠さん。某大学の電気工学科のれっきとした先生だそうだ。
それから、私の師匠がテルミンとお箏でユニットを組んでいる「短冊」。
ギターとマトリョミンの「銘菓ヨロシアン」。DJの「宴パンダ」。
テルミンとアコーディオンのユニット「沼娘」。ゲストのギターコンビの「キドキラ」。

まあ、とにかく怪しいが魅力的なコンサートであった。
コンサート名が、「第4回スナック電波」というだけにエレキギターとテルミンがすべてであった。
スナックのママ役のフェイターンが、言っていた。「エーテルとエレキテルの出会い」まさにその通りで、なんともいえない不思議空間、まるで梨木香歩の沼地を思わせるような空気感がただよっていた。
ギターの腕前はみんなプロ級で、すばらしかった。フェイのテルミンも良かった。師匠の即興演奏もいつものように安心して聞けた。「宴パンダ」も愛嬌たっぷりで、イケてるDJをした。ただ、マトリョミンがな~ちょっと物足りなかった。やはり、おもちゃの域を出ないなあ。音が切れない分、難しいのではなかったか。
最後のキドキラ、菊池、師匠の「ヨーロッパの曙」という曲は、最高だった。あんなに速いテンポで、ファンダメンタルな音を出すテルミンが、メロディを刻むのは奇跡としかいいようがない。
テルミンは、難しい。解ってくれる人には、解るんだが、ロマンティックな楽器である。
クラシックからジャズやロックまでなんでも来いの可能性がある。
ますます、好きになりそうだ。
僕は、そして僕たちはどう生きるか [本]
梨木香歩の本
図書館で、さあ帰ろうというときに、眼があった本。
読み終えて返さなければいけないので、少しだけ覚書を書くことにする。
といっても、夜中の三時を回ってしまったので、まとまって書けるはずもないのだけれど。
まず、これは少年少女のために書かれたほんだろうと思うが、一般にも十二分に読める本である。
「西の魔女」が生きることの意味を追及した、ジュニア向けの本であるなら、この本は「生きるならどんな風に生きるんだ」という続編のような気がしてならない。

登場人物は、ある意味よく似た人物たちだが、物語のはじめでは、それぞれの繋がりが不鮮明だ。
コペル・・・父母と別に暮らしている14歳の少年。あだ名はコペルニクス的転回から来ている。
ノボちゃん・・・コペルの母の弟で、染織やらなんやらをしている自然人。
ブラキ氏・・・コペルの愛犬。
ユージン・・・雑木林に囲まれた古い屋敷に1人で住んでいるコペルの友だち。学校に行けなくなっている。優人という名前をカタカナであらわしてある。
ショウコ・・・ユージンの従妹で、時々ユージンの様子を見に来ている。
米谷さん・・・戦争のとき、兵役を拒否して駒追山の洞穴に逃げ込んで、戦争が終わるまで出てこなかった人。
インジャ・・・ユージンの雑木林のどこかに隠れ住んでいる少女。DVで心が傷ついている。ショウコは、よく世話をしているらしい。
マーク・・・オーストラリアから日本へ来た青年。ショウコの母の友だちの息子。
なぜか、初めから孤立している人物同士が登場してくる。孤立というより、独立心が旺盛なコペルやショウコ。
ふとしたことで、AVの監督にだまされ、心身ともに傷ついて、孤立を選んだインジャ。その物語が語られ、ユージンの雑木林に隠れ住むようになった経過がわかる。
ユージンが登校拒否になった理由が、熱血教師の自己満足的な取り組み(ユージンの大事にしていた鶏を巧妙に説得したあげく、解剖して料理してしまうという出来事)によってであることが分かったことは、コペルにとっても驚きであったし、読み手にも衝撃的であった、。
物語は、植物を採取して、料理して、まるでキャンプ生活のような舞台設定の中で、展開していく。
土地が開発業者によって、壊されていくことに反対したユージンの祖母。その繋がりでユージンは米谷さんという兵役拒否をした人に接することになる。彼は、米谷さんは、
『・・人間って弱いものだから、集団の中にいるとつい、皆と同じ行動を取ったり、同じように考えがちになる。あそこで、たった一人になって、初めて純粋に僕はどう考えるのか、これからどう生きるのか、って考えられるようになった。そしたら、次にじゃあ、僕たちは、って考えられたんだ。』
と話したらしい。そして、『群れのために滅私奉公というか、自分の命まで簡単に投げ出すことは、アリやハチでもできる。・・・・動物は、人間は、もっと進化した、『群れのため』にできる行動があるはずじゃないかって…』
そして、この登場人物たちはオーストラリア人のマークも含め、お互いの(今ここに居る)理由を理解するようになり、(新しい繋がり)を築いていこうとする。なかなか出てこれないインジャにも呼びかけて。
私たちは、面倒だったり、忙しかったりするので、純粋にこういった関係をのみ追及することはしないが、どこかでこんな気のおけない、必要なときに必要な手助けができるような繋がりを求めているのかもしれない。
コペル君の心理描写が、きわめて丁寧に描かれていると思った。だから、読み手が一緒に成長していけると思う。
読んでいるときは、言葉がすとんと落ちて理解できたのに、まとめるとなると難しいものだ。へんにまとめると、作者の意図を曲解することになりかねないので、このあたりで、置くとする。

図書館で、さあ帰ろうというときに、眼があった本。
読み終えて返さなければいけないので、少しだけ覚書を書くことにする。
といっても、夜中の三時を回ってしまったので、まとまって書けるはずもないのだけれど。
まず、これは少年少女のために書かれたほんだろうと思うが、一般にも十二分に読める本である。
「西の魔女」が生きることの意味を追及した、ジュニア向けの本であるなら、この本は「生きるならどんな風に生きるんだ」という続編のような気がしてならない。

登場人物は、ある意味よく似た人物たちだが、物語のはじめでは、それぞれの繋がりが不鮮明だ。
コペル・・・父母と別に暮らしている14歳の少年。あだ名はコペルニクス的転回から来ている。
ノボちゃん・・・コペルの母の弟で、染織やらなんやらをしている自然人。
ブラキ氏・・・コペルの愛犬。
ユージン・・・雑木林に囲まれた古い屋敷に1人で住んでいるコペルの友だち。学校に行けなくなっている。優人という名前をカタカナであらわしてある。
ショウコ・・・ユージンの従妹で、時々ユージンの様子を見に来ている。
米谷さん・・・戦争のとき、兵役を拒否して駒追山の洞穴に逃げ込んで、戦争が終わるまで出てこなかった人。
インジャ・・・ユージンの雑木林のどこかに隠れ住んでいる少女。DVで心が傷ついている。ショウコは、よく世話をしているらしい。
マーク・・・オーストラリアから日本へ来た青年。ショウコの母の友だちの息子。
なぜか、初めから孤立している人物同士が登場してくる。孤立というより、独立心が旺盛なコペルやショウコ。
ふとしたことで、AVの監督にだまされ、心身ともに傷ついて、孤立を選んだインジャ。その物語が語られ、ユージンの雑木林に隠れ住むようになった経過がわかる。
ユージンが登校拒否になった理由が、熱血教師の自己満足的な取り組み(ユージンの大事にしていた鶏を巧妙に説得したあげく、解剖して料理してしまうという出来事)によってであることが分かったことは、コペルにとっても驚きであったし、読み手にも衝撃的であった、。
物語は、植物を採取して、料理して、まるでキャンプ生活のような舞台設定の中で、展開していく。
土地が開発業者によって、壊されていくことに反対したユージンの祖母。その繋がりでユージンは米谷さんという兵役拒否をした人に接することになる。彼は、米谷さんは、
『・・人間って弱いものだから、集団の中にいるとつい、皆と同じ行動を取ったり、同じように考えがちになる。あそこで、たった一人になって、初めて純粋に僕はどう考えるのか、これからどう生きるのか、って考えられるようになった。そしたら、次にじゃあ、僕たちは、って考えられたんだ。』
と話したらしい。そして、『群れのために滅私奉公というか、自分の命まで簡単に投げ出すことは、アリやハチでもできる。・・・・動物は、人間は、もっと進化した、『群れのため』にできる行動があるはずじゃないかって…』
そして、この登場人物たちはオーストラリア人のマークも含め、お互いの(今ここに居る)理由を理解するようになり、(新しい繋がり)を築いていこうとする。なかなか出てこれないインジャにも呼びかけて。
私たちは、面倒だったり、忙しかったりするので、純粋にこういった関係をのみ追及することはしないが、どこかでこんな気のおけない、必要なときに必要な手助けができるような繋がりを求めているのかもしれない。
コペル君の心理描写が、きわめて丁寧に描かれていると思った。だから、読み手が一緒に成長していけると思う。
読んでいるときは、言葉がすとんと落ちて理解できたのに、まとめるとなると難しいものだ。へんにまとめると、作者の意図を曲解することになりかねないので、このあたりで、置くとする。

ある小さなスズメの記録 人を慰め、愛し、叱った、誇り高きクラレンスの生涯
- 作者: クレア・キップス
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2010/11/10
- メディア: 単行本
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