秋野 不矩展 [アート]
アースカラーの女流画家
連休も終わった9日、またまた京都へ行ってきました。
今回は、11日で展示が終わる『秋野 不矩展』を観に、京都国立近代美術館へ。私はスリーディーチケットの三回目を活用して、行くことに。結局、京都行きで三回分のチケットを使ってしまいました。
すっかり葉桜にさまがわりした岡崎は、行きかう人もなんとなく平常心をとりもどしている感じがしました。

秋野 不矩は、日本画の女流画家です。静岡県の天竜市に生まれ、師範学校を卒業したあと一時小学校の教師になります。その後、日本画をこころざし、石井林響の元で2年間学んだあと、西山翠嶂の画塾で本格的に画家としての道を歩み始めます。
不矩は本名を『ふく』といいましたが、ひらがなは座りが悪いと『不矩』の漢字をあてたのです。『不矩』は初期は、繊細な植物画や女子像を好んでかいていましたが、しだいに従来の花鳥風月に飽き足らず、あたらしい日本画の模索を始めます。そうして、何人かの画家たちと『創造美術』(創画会)を設立します。その後、京都市立美術学校の教師となりますが、53歳の時にインドのヴィシュバ・バハラティ大学(現タゴール大学)の客員教授に招かれ、インドに一年滞在することになります。インド滞在で『不矩』はそれまでの画風を一変させることになります。

黄色い大地、氾濫するガンガー、水牛が渡っていく光景、雨雲が集まり大地をたたくようすをつぶさに見た『不矩』は、自分の絵の中にインドを取り入れていったのです。独特の黄色、褐色、黄土色を模索し、インドの土ににかわを混ぜることによって、同じ色を見つけます。

『不矩』の絵には、太陽の光線を練りこんだような独特の黄土色がよく使われます。そして必ずといっていいほど、黒い生命体が描かれます。それは、子どもであったり、大人であったり、牛であったり、犬であったりしますが、過酷な自然の中で黙々と生き抜いている命なんだろうと思います。黒は少量であっても、褐色や黄土色のアースカラーに映え、ひときわ存在感のある色となっています。

こちらは、『帰牛』。黒の分量が少し多目です。インドの牛(水牛)は本当にこんな形をしているのです。ホールの大きな画面で、不矩さんが牛のスケッチをしている様子が映し出されていました。

不矩は、同じ道を歩む画塾の沢宏靭と結婚し、6人の子を育てています。ともに修行中の画家なので、貧乏な暮らしの中、「捨て育て」と称して戦中戦後を生き抜いています。そうした生活の間に、子どもの絵を描いたり、絵本を描いたりもしたそうです。下の絵本は、どこの図書館にもある『一寸法師』の絵本の原画です。赤い彼岸花が大胆なタッチで描かれていますが、「捨て育て」という言葉からほど遠い愛情あふれる絵だと思います。
静岡県に、秋野不矩の記念館が建っているそうです。その美術館は、最晩年の絵画『オリッサの寺院』に似せて作られているということです。
連休も終わった9日、またまた京都へ行ってきました。
今回は、11日で展示が終わる『秋野 不矩展』を観に、京都国立近代美術館へ。私はスリーディーチケットの三回目を活用して、行くことに。結局、京都行きで三回分のチケットを使ってしまいました。
すっかり葉桜にさまがわりした岡崎は、行きかう人もなんとなく平常心をとりもどしている感じがしました。

秋野 不矩は、日本画の女流画家です。静岡県の天竜市に生まれ、師範学校を卒業したあと一時小学校の教師になります。その後、日本画をこころざし、石井林響の元で2年間学んだあと、西山翠嶂の画塾で本格的に画家としての道を歩み始めます。
不矩は本名を『ふく』といいましたが、ひらがなは座りが悪いと『不矩』の漢字をあてたのです。『不矩』は初期は、繊細な植物画や女子像を好んでかいていましたが、しだいに従来の花鳥風月に飽き足らず、あたらしい日本画の模索を始めます。そうして、何人かの画家たちと『創造美術』(創画会)を設立します。その後、京都市立美術学校の教師となりますが、53歳の時にインドのヴィシュバ・バハラティ大学(現タゴール大学)の客員教授に招かれ、インドに一年滞在することになります。インド滞在で『不矩』はそれまでの画風を一変させることになります。

黄色い大地、氾濫するガンガー、水牛が渡っていく光景、雨雲が集まり大地をたたくようすをつぶさに見た『不矩』は、自分の絵の中にインドを取り入れていったのです。独特の黄色、褐色、黄土色を模索し、インドの土ににかわを混ぜることによって、同じ色を見つけます。

『不矩』の絵には、太陽の光線を練りこんだような独特の黄土色がよく使われます。そして必ずといっていいほど、黒い生命体が描かれます。それは、子どもであったり、大人であったり、牛であったり、犬であったりしますが、過酷な自然の中で黙々と生き抜いている命なんだろうと思います。黒は少量であっても、褐色や黄土色のアースカラーに映え、ひときわ存在感のある色となっています。

こちらは、『帰牛』。黒の分量が少し多目です。インドの牛(水牛)は本当にこんな形をしているのです。ホールの大きな画面で、不矩さんが牛のスケッチをしている様子が映し出されていました。

不矩は、同じ道を歩む画塾の沢宏靭と結婚し、6人の子を育てています。ともに修行中の画家なので、貧乏な暮らしの中、「捨て育て」と称して戦中戦後を生き抜いています。そうした生活の間に、子どもの絵を描いたり、絵本を描いたりもしたそうです。下の絵本は、どこの図書館にもある『一寸法師』の絵本の原画です。赤い彼岸花が大胆なタッチで描かれていますが、「捨て育て」という言葉からほど遠い愛情あふれる絵だと思います。
静岡県に、秋野不矩の記念館が建っているそうです。その美術館は、最晩年の絵画『オリッサの寺院』に似せて作られているということです。
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